東京地方裁判所 昭和60年(ワ)10679号 判決 1991年2月19日
原告
八木由美子
他四六名
右四七名訴訟代理人弁護士
山下豊二
同
根岸隆
同
岩崎良平
同
村上誠
被告
安洋水産株式会社
右代表者代表取締役
石松尚隆
被告
日本船主責任相互保険組合
右代表者代表理事
来住史郎
右両名訴訟代理人弁護士
佐藤恭也
同
下飯坂常世
同
海老原元彦
同
広田寿徳
同
竹内洋
同
馬瀬隆之
同
村崎修
同
奥宮京子
右両名訴訟復代理人弁護士
若林茂雄
補助参加人
小名浜漁業共同組合
右代表者理事
小野定次
右訴訟代理人弁護士
大谷好信
主文
一 被告安洋水産株式会社は、別表三記載の各原告に対し、同表⑪欄記載の金員及びうち同表⑨欄記載の金員に対しては昭和五九年二月一五日から、うち同表⑩欄記載の金員に対しては平成三年二月二〇日から、各支払済みまで年五分の金員を支払え。
二 原告らの被告安洋水産株式会社に対するそのほかの請求を棄却する。
三 原告らの被告日本船主責任相互保険組合に対する請求を棄却する。
四 訴訟費用は、原告らと被告安洋水産株式会社との間に生じたものは、これを被告安洋水産株式会社の負担とし、原告らと被告日本船主責任相互保険組合との間に生じたものは、これを原告らの負担とする。
五 この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一請求
一(商法六九〇条に基づく損害賠償請求として)
被告安洋水産株式会社は、別紙請求目録①欄記載の各原告に対し、同目録②欄記載の金員及びうち同目録③欄記載の金員に対しては昭和五九年二月一五日から、うち同目録④欄記載の金員に対しては平成三年二月二〇日から、各支払い済みまで年五分の金員を支払え。
二(被告安洋水産株式会社に代位してする保険金の請求として)
被告日本船主責任相互保険組合は、前項の判決が確定したときは、別紙請求目録①欄記載の各原告に対し、各原告が代位行使する被告安洋水産株式会社の保険金請求権に基づき、前項の計算による右確定日の金額のうち合計三億円を限度とする金員及び右確定日から支払い済みまで年五分の金員を支払え。
第二事案の概要
一争いのない事実
1 昭和五九年二月一五日午前四時ころ(日本時間。現地時間では午前八時ころ)、北緯五四度三分、西経一七四度三四分付近のベーリング海上において、漁船第一五安洋丸(「安洋丸」という。)と漁船第一一協和丸(「協和丸」という。)が衝突し(「本件衝突」という。)、協和丸は同日午前四時四五分ころ沈没し、乗組員二四名中一四名が死亡、二名が行方不明となって死亡認定された(「本件事故」という。)。
2 原告らは、本件事故で死亡した乗組員の相続人であり、被告安洋水産株式会社(「被告安洋水産」という。)は安洋丸の船主である。また、被告日本船主責任相互保険組合(「被告組合」という。)は、被告安洋水産との間で、安洋丸の運行に伴って第三者の生命等に生じた損害の賠償義務が生じたときは、被告組合が三億円の範囲で被告安洋水産に填補する旨の責任保険契約を締結している。
3 昭和五九年一〇月一二日、原告らの代理人である八木厚、木村三代治及び原告阿部誠一の三名(「原告ら代表」という。)と、協和丸の船主である小名浜漁業共同組合(「小名浜漁協」という。)及び被告安洋水産との間で、次の内容の示談が成立し(「本件和解契約」という。)、同月三一日、原告らは弔慰金全額の支払いを受けた。
(一) 原告らは、一遺族につき一律七五〇万円の弔慰金の支払いを受ける。
(二) 原告らは右弔慰金の受領後は、小名浜漁協及び被告安洋水産に対して損害賠償等の一切の請求及び訴訟をしない。
二争点
1 本件事故の責任原因について
(一) 本件衝突について、安洋丸の航海当直担当者に、見張り不十分、速度過大等の過失があったか。
(二) 右(一)の過失があった場合に、これと協和丸乗組員の死亡との間に因果関係があるか。
2 本件和解契約は、次の理由により効力がないか。
(一) (錯誤による無効)
原告ら代表者の本件和解契約締結の意思表示は、「船舶の所有者等の責任の制限に関する法律」(船主責任制限法)により被告安洋水産が一遺族一〇〇万円程度の支払義務を負うにすぎない旨の錯誤に基づくものとして、無効であるか。
(二) (詐欺による取消)
被告安洋水産の補償交渉担当者らが、被告安洋水産は本件事故につき過失がないので、船主責任制限の申立により一遺族一〇〇万円未満の賠償義務しか負わず、もし高額の賠償金債務を負えば被告安洋水産は倒産しかねない旨原告ら代表者を欺罔したことにより、原告らは本件和解契約締結の意思表示を取消すことができるか。
(三) (公序良俗違反)
本件和解契約は、被告安洋水産が海事専門の弁護士甲野太郎と共謀し、乗組員に虚偽の証言を指導するなどの証拠隠滅工作をして、本件事故が協和丸の過失により発生し、被告安洋水産には過失がないように装い、右偽装事実を前提に交渉されたもので、原告らの生活の窮状や精神的動揺に乗じて、現実の損害額の四ないし一〇パーセント程度にすぎない一遺族七五〇万円の支払いにより、被告安洋水産を免責させるもので、公序良俗に反するか。
3 本件事故による損害賠償額について
(一) 本件事故による原告らの損害額はいくらか。
(二) 本件衝突について協和丸の操船者らに見張り不十分の過失があり、または協和丸の乗組員の死亡について同乗組員自身に衝突後の航行、排水、膨張式いかだの取扱い等の不適切の過失があって、過失相殺がなされるべきか。
4 被告安洋水産が無資力であり、原告らは、被告安洋水産の被告組合に対する保険金請求権を代位行使することができるか。
第三争点に対する判断
一争点1(本件事故の発生についての責任原因)について
1 前記争いのない事実及び証拠を総合すれば、本件事故発生の事実経過として、次の事実が認められる。
(一) 安洋丸は、木村重夫漁ろう長、大山義則船長ほか乗組員二三名を乗せて、昭和五八年一一月二〇日、宮城県石巻港を出航し、協和丸は、八木稔船長、阿部榮文漁ろう長ほか乗組員二二名を乗せ、同年一二月二五日、宮城県石巻港を出航して、いずれもベーリング海域へ出漁した。当時、気象条件の厳しい冬季のベーリング海では、衝突防止、安全操業のために、集団操業方式が採用され、同じ基地の漁船がグループを組み、行動を共にしていた。両船は石巻グループに属し、数隻の僚船と無線電話で連絡をとりながら協力して操業していた。
<証拠>
(二) 昭和五九年二月一四日午後、石巻グループの漁船は、安洋丸に乗船していたオブザーバー(日米漁業協定により、米国二〇〇海里水域での日本漁船の操業を監視する米国の監視員)を各船に移乗させるため、海上で会合することとした。そこで、これらの漁船は、会合場所へ向けて航行した。<証拠>
(三) 二月一五日午前二時ころから、本件事故現場付近の海上は、断続的な吹雪を伴う荒天となり、本件事故当時、天候は雪で、北西の風風力九、海上は波高五メートルのうねりがある大時化の状態で、視程は五〇ないし一〇〇メートルと、極めて不良であった。気温は摂氏〇度、海水温は摂氏三度であった。
<証拠>
(四) 午前三時三〇分ころ、協和丸が北緯五四度1.5分、西経一七四度31.5分付近を航行中、阿部漁ろう長は、僚船から相次いで「支え」(荒天時において、舵効のある最小の速度で風上に向けて進むことにより、船体の位置を保持すること)の態勢をとったという連絡を受け、おりからの荒天に対処するために、八木船長に「支え」の態勢をとるよう指示した。八木船長は、船首を風上にあたる針路約三〇〇度に向け、二ノットの速度で「支え」の態勢をとり、このことを安洋丸ほか二隻の僚船に連絡した(安洋丸の木村漁ろう長は、海難審判等において、安洋丸は協和丸から「支え」の連絡を受けていないと供述するが、安洋丸は協和丸の位置の連絡を受けていること、ほかの僚船が協和丸の位置の連絡と共に「支え」の連絡を受けていることから、阿部漁ろう長の供述は採用でき、木村漁ろう長の供述は採用できない。)。
<証拠>
(五) このころ、阿部漁ろう長は安洋丸と無線で交信しており、協和丸の船橋にいた八木船長共々、安洋丸の接近に気付いていた。しかし、八木船長は、安洋丸をレーダーで探知せず、阿部漁ろう長も、安洋丸の動向等を船長に確かめたり、無線電話で安洋丸と連絡して接近状況を確認したりせず、専ら漁群反応を監視していた。
<証拠>
(六) 一五日午前一時ころ、単独で航海当直をしていた安洋丸の大山船長は、現在の針路、速度、僚船との会合予定地点、海況が悪くてオブザーバーが移乗できないこと等を、安洋丸の船橋にきた木村漁ろう長に申し継いだ。しかし、大山船長は、さらに天候が悪化して視界制限状態になった場合の運航指揮に関し、特に申し継ぎをしないまま、午前一時三〇分ころ、船橋からおりて休息した。
<証拠>
(七) 大山船長が船橋から下りた後、単独で安洋丸の航海当直についていた木村漁ろう長は、午前二時ころ、北緯五四度五分、西経一七四度一八分付近の海上で漁群の反応を認め、漁群の範囲を調べるため、針路を二五三度に転じ、速度を五ノットに減じて航行した。このころ、吹雪により視界制限状態となったが、木村漁ろう長はこのことを大山船長に知らせなかった。
<証拠>
(八) このころ、安洋丸の木村漁ろう長は、協和丸から「支え」に入る旨及びその位置の連絡を受けるなどして、協和丸等の僚船が接近しているのを知りながら、レーダーでその映像を確認したり、無線電話で連絡をせず、協和丸の動向を確認しないまま、漁群探索に気を奪われ、ときどきレーダーを見る程度で、見張り不十分のまま速度五ノットで続航した。そして、同漁ろう長は、安洋丸が協和丸に著しく接近しつつあることに気付かなかった。
<証拠>
(九) 午前四時ころ気木村漁ろう長は、安洋丸左舷船首の至近距離に協和丸の船橋を視認し、驚いて機関を全速力後進にかけたが及ばず、安洋丸は針路二五三度のまま、争いのない事実記載の場所付近で、約三〇〇度に向首して「支え」の態勢にあった協和丸の右舷側三番魚倉後部の外板に右後方から約四五度の角度で衝突した。
<証拠>
(一〇) 協和丸の阿部漁ろう長は、安洋丸が衝突した直後、操舵室から出て八木船長と衝突箇所の方向を見たとき、船体が右舷側に五、六度傾斜したことから浸水に気付いたが、損傷、浸水状況を確かめないまま操舵室に戻り、自ら操船指揮をして、八木船長に右舷一杯をとらせ、約六ノットに増速して右回頭を開始させた。
<証拠>
(一一) その後、阿部漁ろう長は、区画の遮蔽やポンプで排水するなどの防水措置を採らず、八木船長に減速を指示しただけで、機関の停止を指示しなかった。この間に海水は機関室へ浸入し始め、阿部漁ろう長が舵中央、機関停止を指示したころには、協和丸は既に浸水により操縦不能の状態であった。
<証拠>
(一二) そのころ、協和丸から、右舷側船橋上にある膨張式救命いかだが投下されたが、協和丸の船体に係留されてなかったため、いかだは海面で膨張したものの、協和丸が惰性で動いていたことと強風により、瞬く間に流失し、左舷側のいかだも同様に流失した。トロール作業甲板から下したゴム製空気フェンダーも、十分に係止していなかったため流失した。
<証拠>
(一三) 衝突後協和丸を追った安洋丸の木村漁ろう長は、四時一五分すぎ、右舷に傾いたままゆっくり右に回頭している協和丸を認め、機関を停止するよう協和丸に連絡をとったが、協和丸が応答せずに回頭を続けるので接近できなかった。四時二〇分ころ、協和丸は停止したが、風上側に協和丸のマスト等が突出している上、船体の動揺が加わって近寄れないので、木村漁ろう長は風下側から接舷を試みた。しかし、猛烈な風浪により、接触状態の維持すら困難であった。
<証拠>
(一四) 機関が停止した協和丸は、右舷側に傾いたまま南西へ漂流を始め、協和丸の乗組員は、左舷側で救助を待った。やがて、協和丸左舷側に接近した安洋丸から、協和丸へ投げ綱が投げられたが、協和丸の木村富士夫一等機関士及び阿部辰夫甲板員は、投げ綱に取り付けられた係留索を係止しようとして、これに引きずられ海中に転落、寒冷死した。
<証拠>
(一五) 阿部淳一一等航海士と阿部漁ろう長は、安洋丸の船首が協和丸の左舷側に接近した際、安洋丸のフェンダーに跳び移った。大山船長は、阿部一等航海士の要請で安洋丸の膨張式救命いかだを投下したが、投下装置の取扱方法を熟知していなかったため、いかだを流失させてしまい、もう一器のいかだは投下できなかった。
<証拠>
(一六) その後、阿部清美二等航海士と千葉留蔵甲板員は、協和丸のバルバスバウ付近で安洋丸のフェンダーに跳び移り、阿部賢二機関長、石森信夫通信長、釜谷恒男甲板員及び阿部直道次席一等航海士は、安洋丸から投げられた小索にすがったり身体を巻き付けるなどして引き揚げられ、いずれも救助されたが、そのほかの乗組員一四名は、協和丸の沈没により海中に投げ出され、死亡ないし行方不明(死亡認定)となった。協和丸は、午前四時四五分ころ沈没した。
<証拠>
2 以上の事実に基づいて、本件事故の責任原因について判断する。
(一) 争点1(一)(安洋丸航海当直担当者の見張り不十分、速度過大等の過失の有無)について
安洋丸は、昭和五九年冬、協和丸らの僚船とともにベーリング海で集団操業しており、本件事故前日から共に同一地点を目指して西へ移動しつつあり、僚船が相互に接近する可能性は極めて高かった。加えて、本件事故現場付近の海域は、当時風力九に達する強風が断続的に吹き荒れており、猛吹雪のために視程一〇〇メートル程度という、視界制限状態にあった。
このような場合、相互に接近した僚船が互いに相手方の存在に気付かずに衝突する危険は高い。そして、衝突事故により船舶が浸水し、沈没する事態が生じれば、視界の効かない猛吹雪、波高五メートルもの波浪、船体着氷のおそれすらある氷点に近い海水温という最悪の条件下で、救助活動は困難を極め、かつ、海中に乗組員が投げ出されることは即寒冷死に直結するから、犠牲者が出ることは必至である。したがって、安洋丸の航海当直担当者である木村漁ろう長としては、他船との衝突を回避するために、無線電話による船間連絡や、レーダーの厳重な監視など、あらゆる手段により厳重な見張りを行い、協和丸の位置や動向を探知して安洋丸を操船する義務があった(海上衝突予防法五条参照)。しかし、木村漁ろう長は、協和丸の位置や動向を知らされ、同船の接近可能性や、右のような視界制限状況及び厳しい気象・海象の状況を認識しながら、漁群探索に気を奪われて、無線電話により同船の位置や動向を確認することをせず、また、十分な調整をしないままレーダーを時々のぞく程度で、見張り不十分のために協和丸の位置及び動向を把握せず、協和丸ほかの僚船が「支え」の態勢でほぼ停止状態にあったなかを、そのまま航行を続け、衝突直前まで協和丸に気付かなかったものである。
また、海上衝突予防法六条によれば、船舶は、他の船舶との衝突を避けるため、適切、かつ、有効な動作をとり、またはその時の状況に適した距離で停止できるよう航行しなければならないところ、速度の決定に当たっては特に視界の状態を考慮しなければならないとされている(同条一号)。したがって、操船者には、前述のような視界制限状態において、万が一僚船が著しく接近した場合にも適切、かつ、有効な操船を行って衝突を避けられるよう、視界制限の程度に応じた安全な速度において航行すべき義務があり、とりわけ衝突が死亡事故に直結する危険性の高い本海域の場合、安全速度の順守は特に重要であった。このような観点からみれば、当時の安洋丸の五ノットの速度は、右の状況下においては過大なものであったというべきである<証拠>。
したがって、木村漁ろう長は、荒天時における視界制限状況下で、接近している協和丸に対する見張りを十分に行わず、過大な速度で航行を継続した過失により、本件衝突を惹起したものというべきである。
(二) 争点1(二)(安洋丸航海当直担当者の過失と協和丸乗組員の死亡との因果関係の有無)について
被告らは、協和丸乗組員の死亡は衝突後の同船乗組員の不適切な措置に起因するものであり、両船の衝突と右死亡との間に因果関係はないと主張する。すなわち、同船が、衝突後船体の損傷状況を調査把握して、浸水拡大防止・排水措置をとらず、増速して回頭し、膨張式救命いかだを適切に取扱わなかったという常軌を逸した行動をしたことにより、安洋丸による救助を困難にし、自力脱出手段を喪失させたもので、このような通常ありえない協和丸側の重大な過失行為こそが、協和丸乗組員の死亡の原因である、というのである。
しかし、協和丸の沈没とそれに伴う乗組員の死亡とは、安洋丸の衝突という加害行為がなければ存在せず、しかも、その加害行為のもたらした危険が実現した結果であるという点で、安洋丸の衝突と直接の因果関係がある。これに対し、協和丸側の沈没回避のための行動や人命救助活動について被告の主張する過失がなかったとしても、協和丸はなお沈没したかもしれないし、また乗組員の生命が失われたかもしれないのである。それに、沈没回避の行動や救助活動は、あくまで、衝突という加害行為による危険の実現を可能な限り阻止することを目的として行なわれるものであって、それ自体が沈没や人命の喪失という危険を発生させる行為ではない。そうすると、乗組員の死亡との間において条件関係を肯定できず、かつ、危険を発生させる行為でもない衝突後の協和丸側の過失が、乗組員の死亡の原因であるとする被告らの主張は採用できない。
(三) 以上によれば、安洋丸の木村漁ろう長は、航海当直に当たって見張り不十分及び速度過大の過失により安洋丸を協和丸に衝突させ、これによって協和丸乗組員一六名を死亡させたものであるから、安洋丸の所有者である被告安洋水産は、他に損害賠償請求を妨げる事由のない限り、商法六九〇条により右乗組員の死亡による損害を賠償する義務があることとなる。
なお、本件事故については、昭和五七年五月二一日法律第五四号による改正前の船主責任制限法三条が適用され(右改正法附則二項、一項、昭和五九年三月二日政令第二二号)、安洋丸の所有者である被告安洋水産について、同法による責任制限が問題となりうる。しかし、同法による責任制限の効果は、同法三条一項本文が「この法律で定めるところにより」と規定しているところから明らかなとおり、同法の定める責任制限手続が実施される場合に初めて生ずるのである。そして、本件においては、被告は右の責任制限手続が開始されていることを主張・立証していないから、同法による責任制限の効果が生じているかどうかの判断は要しないこととなる。もっとも、後に述べるとおり、船主責任制限の要件の充足の有無は、本件和解契約の錯誤無効の成否に関連して問題となるので、争点2に対する判断の箇所で検討する。
二争点2(和解契約の効力)について
1 昭和五九年一〇月一二日、原告ら代表者と被告安洋水産及び小名浜漁協との間で、本件和解契約が成立したことは、当事者間に争いがない。
2 証拠によれば、安洋丸における航海当直体制、本件事故後における被告安洋水産の事故対策、本件和解契約が成立するまでの経過等について、次の事実を認めることができる。
(一) 安洋丸における航海当直は、本件事故前から単独で行われるのが通常であった。昭和五九年一月中旬に加藤末次一等航海士が負傷のため下船した。木村漁ろう長は、加藤一等航海士が負傷して就業できない事実を被告安洋水産に報告し、補充要員の配置を求めたが、被告安洋水産からは、補充要員は送られず、被告安洋水産は、二月一日付で、木村漁ろう長を漁ろう長兼一等航海士に任じた。安洋丸の操業中の航海当直は、漁ろう長と船長とが交替しながら、原則的には一人で一二時間ずつ担当してきた。
<証拠>
これに対して、<証拠>には、安洋丸の航海当直は木村漁ろう長、大山船長、斎藤二等航海士の三人が、交替で担当したという供述がある。しかし、加藤一等航海士が下船した後に木村漁ろう長が一等航海士を兼任していること、一等航海士がいる場合には斎藤二等航海士は航海当直をしないことになっていたこと(<証拠>)から判断して、これらの供述は採用できず、斎藤二等航海士は航海当直を担当しなかったものと認められる。
また、次の証拠(二審審判調書)中には、安洋丸の加藤一等航海士が負傷のため下船する直前、新沼徳雄次席一等航海士が安洋丸に乗船して航海当直をしており被告安洋水産では加藤一等航海士の下船後、新沼次席一等航海士が後任として航海当直に当たるものと考えていた旨の供述がある。
<証拠>
しかし、新沼次席一等航海士が乗船していたこと自体、海難審判の二審段階で初めて各供述に登場する事柄である。しかも、このような供述をした大山船長及び木村漁ろう長は、一審の段階では、航海当直担当者について何度も質問されながら、両名で交替して単独当直をした、あるいは斎藤二等航海士と三名で交替して当直をした旨供述しているのみであり、加藤一等航海士の補充の件に質問が及んでも、補充はなかったとしか述べていない(<証拠>)。さらに、新沼の名は海員名簿には記載されているが、同人は安全担当者に指名されたというのに海員名簿にその旨の記載がなく、安洋丸内に乗組員としての名札も存在しない(<証拠>)。以上の事実を総合すれば、新沼次席一等航海士が安洋丸に乗船して航海当直を担当していたものと認めることはできない。
(二) 被告安洋水産から本件事故の対策を依頼された弁護士事務所の甲野太郎弁護士は、被告安洋水産の職員と謀って、安洋丸が帰港する直前の昭和五九年三月上旬ころまでの間に、海難審判や示談交渉等を安洋丸側に有利に導くため、安洋丸乗組員に対し、秘密保持性の高い無線通信設備を使って、次のような供述や事故対策の指導・工作を行った。(なお、当時の船主責任制限法三条一項によれば、損害の発生が船舶所有者の過失によるときは責任の制限ができないものとされていた。)。
(1) 昭和五九年三月二日ころ、被告安洋水産は、「甲野弁護士との打ち合わせ事項」との表題で、次の指導ないし指示事項をファックスで送信した。すなわち、同被告は、二人当直体制であることを立証できない場合をおもんばかり、天候の悪化にかかわらず一人当直のまま当直者の増員をしなかった理由づけを、①船頭(木村漁ろう長)一人でも対処できると判断した、②海上衝突予防法は熟知していた、③高性能の計器を充分使いこなせた、とする旨指導した。さらに、同被告は、悪条件の中一人で当直せざるを得ない管理体制をつかれないよう対策するとして、二人以上の当直体制にあることを示す職務分掌規定を甲野弁護士と打ち合わせの上至急安洋水産本社で作成してファックス送信するので、その内容を幹部が記憶するよう指示した上、安洋丸が帰港後古くなったように仕立てた急造の職務分掌規定を秘密裡に船内に持込み、捜査官に押収させるような段取りをする旨告知した。
(2) 同年三月四日ころ、甲野弁護士は、安洋丸の木村漁ろう長及び浅倉博紀に対し、ファックス送信により、①レーダーの感度を何も見えなくなる限界付近まで下げて使用していたと供述して欲しい、②当日午前三時三〇分から協和丸初認時までの間に、レーダーのレンジを三マイルレンジより小さいレンジに変えて見たが、協和丸は見えなかったと供述して欲しい、③衝突状況の略図を示して、安洋丸のスピード五ノット、協和丸のスピード八ノット、木村漁ろう長の初認が左舷四五度、距離一〇〇メートルとすると、衝突の角度は協和丸の船首から七〇度となり、当初右の角度で接触した後木村漁ろう長のいう衝突角度(四五度)になったのではないかと思われる、と述べて供述の指導をした。
<証拠>
(三) その後、被告安洋水産は甲野弁護士の協力を得て職務分掌規定を作成し、同年三月七日、被告安洋水産から安洋丸に対し、これをファックスによって送信した。右ファックスによる送信以前には、安洋丸には被告安洋水産が管理責任者として作成した職務分掌の定めは存在しなかった。そして、ファックス送信した規定では、操業中は漁ろう長、船長、一等航海士、二等航海士が、また航海中は船長、一等航海士、二等航海士、甲板長、冷凍長が、それぞれ船橋当直を担当するものとされているが、この内容は、実際に行なわれていた当直体制とは全く異なっていた。
<証拠>
(四) 安洋丸は、昭和五九年三月一一日、塩釜港に帰港した。そして同日、木村漁ろう長は業務上過失致死傷罪の嫌疑で逮捕されたが、木村漁ろう長は被告安洋水産及び甲野弁護士の右指導に従った供述を行なった。これに対して、協和丸の阿部漁ろう長は、前記一1の(四)〜(九)の事実経緯に沿った供述をして、安洋丸乗組員の供述と協和丸乗組員の供述が対立する状況となった。このような状況下で、仙台地方検察庁は、三月三一日、両船双方の過失が競合した可能性があり、海難審判の裁決を待たなければ処分が決められないとして、木村漁ろう長を処分留保のまま釈放した。新聞では、当初安洋丸の過失が本件事故の原因という論調が目立ったが、その後安洋丸の前を協和丸が猛スピードで横切ったことを本件事故の原因とする新聞報道も現れ、八木船長の父八木厚は、世間に顔向けができないという気持ちになっていった。
<証拠>
(五) 昭和五九年三月末ころ、被告安洋水産の塩釜事業所長都留昌三は、協和丸の八木船長の父親である八木厚方に焼香に訪れた際、同人に対し、「協和丸はうそを言っている。協和丸が安洋丸の左舷より前方を猛スピードで横切った。だから協和丸が悪いんだ。」と説明した。しかし、八木厚は、協和丸生存者から、本件事故当時、協和丸は悪天候のため「支え」の態勢をとっていたという話を聞き、こちらの方が真実ではないかと考え、都留昌三の説明を疑っていた。八木厚は、三月三〇日、弔問に来た安洋丸乗組員に対し、「本当に安洋丸が悪くないのか、嘘を言わないで本当のことを言ってくれ。」と問い質したりした。
<証拠>
(六) 昭和五九年四月ころ、被告安洋水産の総務部長竹俣勝年は、八木厚方を訪ね、被告安洋水産には示談交渉に応ずる用意がある旨述べた。その際、竹俣勝年は、船主責任制限法によれば、被告安洋水産が一遺族につき一〇〇万円支払えば責任を免れる旨述べた。八木厚は、同法による免責の話を、その後も、竹俣勝年の他に、被告安洋水産の塩釜事業所長都留昌三、死亡乗組員の雇用主である小名浜漁協の大高武参事、同漁協担当課長会田通らからもたびたび聞かされた。
<証拠>
(七) 八木厚ら遺族は、五月一日には、同人ら三名を遺族の代理人に立て、小名浜漁協を窓口として被告安洋水産と補償交渉をすることになったが、同月ころ、八木厚は小名浜漁協の大高参事から電話で、一家族あたり三五〇万円という補償額を提示され、その後小名浜漁協に赴いた際には、「法律では一〇〇万以下にしかならないけれども、それに二五〇万を上乗せするんだから、これで示談にした方がいいんじゃないか。」と言われた。
<証拠>
(八) 昭和五九年五月半ばすぎ、八木厚は、「安洋水産塩釜事業所」と名乗る者から、安洋水産が北海道の金井漁業部に身売りされたら一銭ももらえなくなるという電話を受けた。
<証拠>
(九) 昭和五九年五月二五日、横浜地方海難審判理事所は、横浜地方海難審判庁に対し、協和丸の阿部漁ろう長ほか一名、安洋丸の木村漁ろう長、大山船長を受審人とする審判開始の申立てを行なった。しかし、右申立てにおいては、協和丸が安洋丸の進路を横切る形で衝突したとされた。
<証拠>
(一〇) 昭和五九年六月一八日、原告ら代表者は小名浜漁協に赴き、「見舞金(制裁的慰謝料)」として、被告安洋水産に三〇〇〇万円、小名浜漁協に二〇〇〇万円の支払いを求める請求書を手渡した。しかし、これに対して、小名浜漁業組合長小野定次は「金がないから一銭も出ない。」などと述べ、大高参事は「法的には一〇〇万円にしかならないのを、三〇〇〇万円だ、二〇〇〇万円だって請求するのはおかしい、常識がない。」となじった。被告安洋水産はこれに対して回答しなかった。さらに、昭和五九年七月ころ、大高参事は、八木厚に対し、一遺族五〇〇万円という補償案を提示し、「法的には一〇〇万にしかならないのを、安洋さんがせっかく上乗せしているんだから、これをのんだ方がいいんじゃないか。これが最後だよ。」などと迫った。
<証拠>
(一一) 同年八月、被告安洋水産の経営主体及び経営陣が替わり、株式がすべて譲渡されるという噂が巷間に伝えられ、被告安洋水産の漁船に乗っていた船員が、これに抗議してストライキをするという事態も生じた。
<証拠>
(一二) 同年九月一〇日、原告ら代表者、小名浜漁協、被告安洋水産の三者による第一回目の示談交渉が行われた。原告らは、当初この席で、補償金として一遺族あたり被告安洋水産が一〇〇〇万円、小名浜漁協が三〇〇万円を支払う案を提示し、被告安洋水産は、総額五〇〇〇万円(一遺族あたり約三五〇万円)という案を示したが、原告らの提示額との開きが大きかったため、その日は交渉がまとまらなかった。一〇月一一日、第二回目の交渉が行われ、原告ら代表者は、被告安洋水産が一遺族につき補償金一〇〇〇万円を支払う案を提示し、被告安洋水産は、一遺族につき三五〇万円を支払う案を提示した。交渉は翌一二日も行われ、折衝の結果、被告安洋水産が一遺族につき七五〇万円を支払うことで合意が成立し、同日、原告ら、小名浜漁協、被告安洋水産間で確認書が交わされ、本件和解契約が成立した。
<証拠>
(一三) 昭和六〇年に至り、横浜地方海難審判庁における審理中に、安洋丸と甲野弁護士及び被告安洋水産とのファックスによる交信文書が押収書類の中から発見され、前記(二)(三)の証言指導、偽装工作が発覚した。
<証拠>
3 そこで、以上の事実を前提に、本件和解契約の効力について判断する。
(一) まず、被告安洋水産に船主責任制限法による責任制限の要件があるかどうかについて判断するに、本件事故について適用される昭和五七年改正前の同法三条によれば、本件事故について被告安洋水産に過失がある場合には、責任制限を受けることはできない。
そこで、これを本件についてみるに、そもそも航海当直担当者は、常に船舶の安全航行に配慮を払わなければならない。とりわけ、高緯度で水温・気温が極めて低く、低気圧による強風、荒天が続く冬期のベーリング海を航行する船舶は、一般的に海難事故の危険が高く、かつ一旦事故により船舶が沈没すれば、乗組員の生命に極めて重大な危険が生ずるから、航海当直者は細心の注意をもって他船の位置や動向を把握し、十分にこれを見張らなければならない。そして、夜間や、吹雪等による視界制限状況においては、更に厳重な注意が必要である。したがって、このような航海当直の職務の重大性から、安全運航確保のためには、航海当直者の注意力が低下しないよう、十分な交替要員を配備して、注意力の持続する時間内で当直を交替させ、視界制限状況下では二人当直が可能な体制を採ることが必要であり、長時間連続当直や、魚群の探知等に専念すべき漁ろう長による操業中の単独当直があってはならないというべきである。
したがって、安洋丸の乗組員配備を管理する被告安洋水産は、職務分掌を明確にした上で、単独で長時間航海当直をさせたり、操業中に漁ろう長に単独で航海当直させたりすることのないよう、十分な交替要員を乗船配備させ、また通常航海当直を担当する一等航海士が下船した場合には、補充乗組員を乗船させて航海当直を担当させるようにすべきであった。
にもかかわらず、被告安洋水産は、加藤一等航海士の下船後、大山船長と木村漁ろう長が、毎日連続一二時間という注意力持続の限界を超える長時間にわたって航海当直を担当せざるを得ない体制となることを知りながら、代替人員を補充せず、このような安全運航を犠牲にした無理な当直体制を容認したものというべきである。その結果、本来魚群探知に専念すべき木村漁ろう長は、視界制限状態の厳冬のベーリング海において、大山船長の立ち会いも要求できず、連続一二時間も単独で航海当直を行わなければならないことになった。そして、木村漁ろう長は、単独当直中、協和丸が接近しているにもかかわらず、魚群探索に気を奪われて、航海当直者として必要なレーダーや無線電話による協和丸の位置や航行状況の確認を怠り、見張り不十分のまま過大な速度のまま航行を続け、本件事故を惹起したのである。
以上から明らかなとおり、被告安洋水産には、本件事故発生において、職務分掌を明確にせず、また、十分な当直要員を配備、補充せず、無理な長時間単独航海当直体制、兼務体制を容認した過失があると言うべきである。よって、被告安洋水産は、船主責任制限法による責任制限を受けることができなかったものである。
(二) 次に、錯誤の有無について判断する。
原告ら代表者は、本件事故が協和丸側の一方的な過失に起因するという被告安洋水産側の説明に疑問をもち、安洋丸側にも過失があったのではないかと考えていた。しかし、安洋丸乗組員らの供述と協和丸乗組員らの供述とが大きな食違いを見せる中、木村漁ろう長の身柄を拘束していた検察庁が過失の競合の可能性を前提として同漁ろう長を釈放し、海難審判申立てにおいても、協和丸が安洋丸の進路を横切る形で衝突したとされて、報道機関の論調も協和丸側に厳しくなっていった情勢の下で、原告ら代表者を始めとする遺族は、被告安洋水産ばかりか、実質的に示談交渉の仲介をしていた雇主の小名浜漁協関係者からも、繰返し被告安洋水産の賠償責任が船主責任制限法により一遺族一〇〇万円程度に制限されると強く説得され、次第に孤立無援の状態に立ち至ったものと認められる。そして、原告ら代表者が被告安洋水産と実質的な交渉に入ったのは、昭和五九年九月一〇日であって、その際の原告ら代表者の本音の請求額は一遺族一〇〇〇万円であったと考えられる。今日では交通事故に代表される事故死及びその損害賠償に関する情報が一般化し、その賠償額の大きな部分が死亡時の収入を基礎として算定される逸失利益によって構成されるものであることは常識に属する。後述するように、死亡者の年収は少ない者でも九百数十万円、可働年数は少ない者でも二〇年弱であり、本来の損害額が右一〇〇〇万円をはるかに超えた額となることは容易に判断できるから、原告ら代表者の一遺族一律一〇〇〇万円の要求は、各死亡者に関する通常の損害賠償という前提ではなく、被告安洋水産及び小名浜漁協の主張する責任制限を前提とした上で最大限の補償を獲得しようとの意図に基づくものであったと認められる。したがって、原告ら代表者が一遺族七五〇万円という極めて低い補償金額の支払いを内容とする本件和解契約を締結したのは、被告安洋水産は船主責任制限法により一遺族につき一〇〇万円程度の賠償金の支払いで責任を免れると信じ、一遺族七五〇万円の支払いで和解した方が有利であると考えたからであり、加えて、多額の賠償金債務を負えば被告安洋水産が身売りないし倒産するという話を聞いて、早期にある程度の賠償金を得た方が有利であると考えたことによるものと認められる(<証拠>)。しかるに、本件事故については前述のとおり、安洋丸の船主である被告安洋水産に過失が認められるから、本件事故は、同被告が船主責任制限法による責任制限をすることができないものであった。したがって、原告ら代表者には、本件和解契約締結に当たり、船主責任の制限の可否について錯誤があったことになる。
そして、被告安洋水産の身売り、倒産の噂の点については、本件和解契約に至る経過からみて、それがなくても原告らは妥結した程度の極めて低い補償金額で示談せざるを得なかったのであろうと認められる反面、船主責任制限法に関する錯誤がなかったならば原告らは右の金額で示談することはなかったものと認められる。したがって、このような極めて低い補償金額で原告らが示談した真の原因は、被告安洋水産の船主責任が制限されると信じたことにあったというべきである。したがって、原告ら代表者の本件和解契約締結の意思表示は、被告安洋水産の船主責任についての錯誤に基づいてなされたものであり、かつ、その錯誤は本件和解契約の要素の錯誤に該当するというべきである。
(三) そこで、原告ら代表者の意思表示が無効となるかどうかについて判断する。
原告ら代表者は、被告安洋水産に過失がないから責任が制限されると考えたわけではなく、この点を重要な事実として意識していたわけではなかったから(<証拠>)、原告ら代表者は、船主責任の制限がなされるという結論についての法的判断を誤ったものということができる。しかし、原告ら代表者がそのように誤信したのは、被告安洋水産の一連の偽装工作により、原告らが被告安洋水産の責任制限の主張に対抗できずこれを承認せざるを得ない客観的状況が作出されたことによるものというべきである。
すなわち、被告安洋水産による工作は、被告安洋水産及び安洋丸航海当直担当者に過失があるとされる蓋然性が高いものと判断し、これを否定ないし軽減するために行なわれたのであるが、そのうち、前記2の(二)(1)に認定した職務分掌規定に関する偽装工作は、被告安洋水産の責任を否定する目的による重要証拠の偽造ないし捏造であり、同2の(二)(2)に認定した甲野弁護士の供述指導は、安洋丸の航海当直担当者の過失を否定ないし軽減する目的による重要証拠の明らかな歪曲である。そして、前に認定したその後の経過に照らして、これらの偽装工作が、検察庁による安洋丸木村漁ろう長の釈放、海難審判申立てにおける協和丸側過失の指摘、新聞報道等による協和丸側の過失の強調という方向への論調の変化、協和丸乗組員の雇用主である小名浜漁協による被告安洋水産の責任制限の主張といった、原告らを取巻く客観的状況を作出したものと認められる。そして、原告らは、このような客観的状況により被告安洋水産の責任制限の主張を承認せざるを得なくなったものである。
このように、船主責任制限の法的判断についての原告ら代表者の錯誤は、被告安洋水産の偽装工作によって作出された客観的な状況に起因するものであり、もとより被告安洋水産は原告ら代表者の右錯誤を知っていたというべきであるから、原告らの錯誤無効の主張に対し、被告安洋水産の利益を保護すべき事情は認められない。また、原告ら代表者が錯誤に陥った経過に照らし、原告ら代表者に過失があったとは認められない。
以上により、原告ら代表者の本件和解契約締結の意思表示は、被告安洋水産の船主責任制限に関する錯誤により無効であるというべきである。
三争点3(損害賠償額)について
1 逸失利益
(一) 得べかりし年収
<証拠>によれば、協和丸の殉職者のうち、八木稔、木村富士男、阿部久雄、阿部吉雄、日野正、阿部隆三、阿部明義、八木清一、津田利郎、阿部順、石森正徳、須藤嘉次の一二名について、本件事故直前の三年間における平均年収は、別表一①欄記載のとおりであることが認められる。また、阿部幸三、阿部政一、織笠善朗は、いずれも機関員ないし甲板員であるところ(<証拠>)、機関員及び甲板員の賃金、諸手当、生産奨励金は同額であることから(<証拠>)、右四名は、前記一二名のうち年収の最も少ない機関員石森正徳の平均年収を下回らない年収を得ることができたものと推認される。
そして、<証拠>によれば、職長以上の職にある海員組合員の定年が五五歳と定められていることから、殉職者一六名は、本件事故に遭わなければ、五五歳まで漁船乗組員として稼働可能であり、右稼働期間中、別表一③欄記載の金額を下らない年収を得ることができ、その後六七歳に達するまでの間、少なくとも平成元年賃金センサス第一巻第一表による産業計・企業規模計・学歴計男子労働者の、五五ないし五九歳、六〇ないし六四歳、六五歳以上の各年齢に対応する平均賃金年額を下らない年収を、それぞれの年齢時において得ることができたと推認される。
もっとも、被告らが主張するとおり、殉職者らの給与は生産奨励金等の歩合給が相当の割合を占めている(<証拠>)。また、漁業規制の強化などによる北洋漁業の不振から、協和丸のような北転船は減船の傾向にある(<証拠>)。しかし、漁船乗組員の職場が他にも多数あることは周知のことであり、かつ、このような事情によって漁船乗組員の歩合給等の収入が減少してきたことについての証拠はないから、殉職者の年収をすべて賃金センサスによる平均賃金を基礎に算定すべきであるとの被告らの主張は採用できない。
(二) 生活費控除
乗船中の漁船乗組員は、食料も含めて、生活の一切を漁船に依存していること(<証拠>)を考慮すれば、生活費として、五五歳に達するまでの期間については、本件事故当時独身であった須藤嘉次及び阿部辰夫については収入の三割、その他の殉職者については収入の二割五分を、また五六歳から六七歳に達するまでの期間については、須藤嘉次及び阿部辰夫については収入の五割、その他の殉職者については収入の三割を、(一)に基づいて算定した得べかりし年収の額から控除すべきである。
(三) 退職金
漁船乗組員の労働契約は、年間臨時手当の存在(<証拠>)からも窺えるとおり、通常の労働契約と異なり、一漁期間ごとになされるものであって、継続的な乗船を前提とするものではない。したがって、定年まで継続的に同一船主のもとに雇用されることを前提とした退職金の請求は理由がない。
(四) そして、(一)に基づいて算定した額から、(二)の割合による生活費を控除した金額を基礎として、ライプニッツ方式により中間利息を控除して、原告らの逸失利益の本件事故当時における現価を求めると、別表一⑬欄記載の金額となる。
2 慰謝料については、働き盛りの漁船員が、不慮の事故により極寒のベーリング海で凍死したという事故の態様等諸般の事情を考慮して、一家の柱であった既婚の殉職者については一遺族二一〇〇万円、その他の殉職者については一遺族一五〇〇万円を認容するのが相当である。
3 葬儀費用については、<証拠>より、各遺族において優に一〇〇万円を超える費用を要したことが認められるので、原告主張のとおり、一遺族につき一〇〇万円の葬儀費用を損害額として認めるべきである。
4 過失相殺について
(一) 協和丸においても、本件事故当日、吹雪による視界制限状態下で、同一地点をめざして航行中の安洋丸と衝突する危険が予想されたのであるから、航海当直をしていた阿部漁ろう長及び八木船長には、速度を落とすとともに、無線電話やレーダーにより安洋丸の位置や動向を確認して、両船の接近状況を判断し、衝突を予防する義務があった。この点、右両名は、協和丸を「支え」の態勢にして速度を最小限にし、安洋丸はじめ他の僚船にそのことを伝えたものの、魚群探知に気を奪われて、無線電話による連絡や、レーダーの監視が不十分となり、安洋丸の位置を十分確認せず、安洋丸に接近状況への注意を十分喚起しなかったため、安洋丸の衝突を招いたものである。したがって、阿部漁ろう長及び八木船長には、安洋丸への連絡及び位置確認が不十分であった過失がある。この点は、本件衝突発生の原因となる過失であり、当然過失相殺の事由となる。
(二) また、阿部漁ろう長は、協和丸の衝突後、本来安全運航の責任者である八木船長をさしおいて自ら運航を指揮し、かえって協和丸を増速して右回頭させたため、安洋丸の接舷は遅れ、区画防水等の措置を取らなかったために、協和丸の沈没は早まったと考えられる。このため、協和丸と安洋丸の接舷できる時間が短くなり、救助活動が制約されたと認められる。
しかし、阿部漁ろう長の判断は、緊急状態におけるとっさの判断であり、最善でなくてもやむを得ない面がある。また、本件のような荒天、悪条件下においては、そもそも救助活動自体が極めて困難である。そして反面においては、安洋丸の木村漁ろう長は風下から協和丸への接舷を図ったが、原告主張のとおり、安洋丸が風上側から協和丸に接近して救命いかだ等を流せば、風向や風圧の関係からみて接舷が容易であり、協和丸乗組員がこれを伝って安洋丸に移乗し、救出された可能性があったと思われる(<証拠>)。また、安洋丸側は膨張式救命いかだの取扱いについても不手際があった。
このように、協和丸乗組員の行為には、事後的に見ると不適切な点があったが、悪条件下の緊急事態における行為としては強く非難できない面があり、かつ、これらの行為が協和丸沈没、乗組員死亡という結果に対して実質的に危険を付与したものではないうえ、安洋丸が本件衝突について大半の責任を有し、危険を作出した先行行為者としてより強い救助義務を負うにもかかわらず、同船の救助活動にも不適切な点があったことを併せれば、協和丸側の損害拡大防止措置の不適切をもって過失相殺事由とすることは相当ではない。協和丸に救命いかだの取扱い不適切の点があったことについても同様である。
(三) 以上によれば、本件衝突及び本件事故は、木村漁ろう長の見張り及び減速不十分の過失と、協和丸の阿部漁ろう長及び八木船長の位置確認等不十分の過失とが競合して発生したものと認められる。そして、その過失割合は、協和丸が本件衝突当時「支え」の状態、すなわち静止に近い状態にあった上、他の僚船に自船の位置や動向を知らせていること、これに対して、安洋丸は、荒天下で十分減速せず、当直の見張りも不十分なまま航行して、ほとんど停止していた協和丸にその後方から衝突したものであること、協和丸損傷の原因力は安洋丸の速度に起因していることなどを比較考慮し、安洋丸が九割、協和丸が一割であると認めるのが相当である。
(四) 被告らは、協和丸の八木船長と他の乗組員とが、船舶における生活上一体の関係にあることを理由に、他の乗組員に対する損害賠償額の算定についても、八木船長の過失をいわゆる被害者側の過失とみて、過失相殺をすべきであると主張する。
しかしながら、争いのない事実によれば、死亡した協和丸の乗組員は、いずれも小名浜漁協に雇用され、同じ協和丸の乗組員として、八木船長とともに出漁したものである。乗組員は、長期間海上の危険にさらされながら共同生活を送る組織の構成員であるけれども、その相互の関係は、陸上における企業での同僚の間柄と本質的に異なるものではなく、その間に、身分的あるいは経済的な一体性があった事実も認められない。また、船長以外の死亡した乗組員は、船長に対して指揮監督をすべき立場にはないから、船長が職務を遂行する上で過失があったとしても、これを乗組員の過失と同視することはできない。
このように、八木船長以外の死亡した乗組員は、船長と身分上、生活上一体をなすような関係にあるものとは認められないから、八木船長の過失を他の死亡した乗組員の過失として斟酌することはできないというべきである。
(五) よって、協和丸の過失に関与した乗組員についてのみ、一割の過失相殺をするのが相当である。そして、原告らのうち、過失のある乗組員の遺族は、八木由美子、光、慎太郎の三名であるから、右三名についてのみ、損害の算定に当たり、その一割を過失相殺として減ずるのが相当である。
5 船員保険金の控除について
(一) 原告らが既に受領した船員保険金のうち、遺族年金、遺族一時金、行方不明手当金及び葬祭費が損益相殺の対象となり、これらの受領額を損害額から控除しなければならないことについては、当事者間に争いがない。
(二) 被告らは、この他に、船員保険金特別支給金支給規則に基づいて原告らに支給された第一種及び第二種特別給付金も、損益相殺の対象となると主張する。
しかし、右給付規則に基づく特別給付金は、船員保険法五七条の二に規定する福祉施設事業の一環として支給されるものである(<証拠>参照)。そして、福祉施設事業は、労働者災害補償
別表三(1)(2)
遭難した船員名
①逸失利益別表一
⑬
原告たる法定相続人の氏名・続柄
②法定相続分
③相続額
①×②
④慰謝料
⑤葬儀費用
⑥控除対象となる船員保険による別表二の支給金及び葬祭費
⑦控除対象となる小名浜漁協からの給付金
⑧安洋水産
見舞金
⑨
③+④+⑤-⑥-⑦-⑧(注)
⑩弁護士費用
⑨×0.1
⑪認容額
⑨+⑩
八木稔
186332640
八木由美子
妻
1/2
93166320
10500000
1000000
12663868
13000000
3750000
64785820
6478582
71264402
光
子
1/4
46583160
5250000
6331934
6500000
1875000
31942910
3194291
35137201
慎太郎
子
1/4
46583160
5250000
6331934
6500000
1875000
31942910
3194291
35137201
(注)
木村富士夫
74265066
木村淑子
妻
1/2
37132533
10500000
1000000
10124110
13000000
3750000
21758423
2175842
23934265
雅樹
子
1/2
37132533
10500000
10124110
13000000
3750000
20758423
2075842
22834265
阿部久雄
132725154
阿部辰美
父
1/6
22120859
3500000
1000000
3095108
4333333
1250000
16942418
1694241
18636659
やへ子
母
1/6
22120859
3500000
3095108
4333333
1250000
16942418
1694241
18636659
ひさ子
妻
2/3
88483436
14000000
12380434
17333333
5000000
68769669
6876966
75646635
阿部吉雄
99664031
阿部千鶴子
妻
1/2
49832015
10500000
1000000
12447587
13000000
3750000
32134428
3213442
35347870
洋一
子
1/6
16610671
3500000
4149195
4333333
1250000
10378143
1037814
11415957
紀彦
子
1/6
16610671
3500000
4149195
4333333
1250000
10378143
1037814
11415957
友紀
子
1/6
16610671
3500000
4149195
4333333
1250000
10378143
1037814
11415957
日野正
125787135
日野のぶ子
妻
1/2
62893567
10500000
1000000
11264063
13000000
3750000
46379504
4637950
51017454
博貴
子
1/2
62893567
10500000
11264063
13000000
3750000
45379504
4537950
49917454
阿部隆三
69593195
阿部久子
妻
1/2
34796597
10500000
1000000
10831726
13000000
3750000
18714871
1871487
20586358
洋子
子
1/4
17398298
5250000
5415863
6500000
1875000
8857435
885743
9743178
竜一
子
1/4
17398298
5250000
5415863
6500000
1875000
8857435
885743
9743178
阿部明義
130258668
阿部保子
妻
1/2
65129334
10500000
1000000
12782145
13000000
3750000
47097189
4709718
51806907
享
子
1/4
32564667
5250000
6391072
6500000
1875000
23048595
2304859
25353454
浩幸
子
1/4
32564667
5250000
6391072
6500000
1875000
23048595
2304859
25353454
八木清一
69806818
八木ケンコ
妻
1/2
34903409
10500000
1000000
10512537
13000000
3750000
19140872
1914087
21054959
玲子
子
1/6
11634469
3500000
3504179
4333333
1250000
6046957
604695
6651652
順子
子
1/6
11634469
3500000
3504179
4333333
1250000
6046957
604695
6651652
郁子
子
1/6
11634469
3500000
3504179
4333333
1250000
6046957
604695
6651652
津田利郎
75386750
津田洋子
妻
1/2
37693375
10500000
1000000
13052271
13000000
3750000
19391104
1939110
21330214
弘子
子
1/6
12564458
3500000
4350757
4333333
1250000
6130368
613036
6743404
利哉
子
1/6
12564458
3500000
4350757
4333333
1250000
6130368
613036
6743404
武彦
子
1/6
12564458
3500000
4350757
4333333
1250000
6130368
613036
6743404
阿部順
120539055
阿部まり子
妻
1/2
60269527
10500000
1000000
12773006
13000000
3750000
42246521
4224652
46471173
和恵
子
1/4
30134763
5250000
6386503
6500000
1875000
20623260
2062326
22685586
和幸
子
1/4
30134763
5250000
6386503
6500000
1875000
20623260
2062326
22685586
石森正徳
81021431
石森節子
妻
1/2
40510715
10500000
1000000
12215275
13000000
3750000
23045440
2304544
25349984
慎一
子
1/4
20255357
5250000
6107637
6500000
1875000
11022720
1102272
12124992
真紀
子
1/4
20255357
5250000
6107637
6500000
1875000
11022720
1102272
12124992
須藤嘉次
117297532
須藤善明
父
1/2
58648766
10500000
1000000
8800000
12250000
3750000
45348766
4534876
49883642
邦子
母
1/2
58648766
10500000
7920000
12250000
3750000
45228766
4522876
49751642
阿部辰夫
105047480
阿部誠一
父
1/2
52523740
10500000
1000000
8800000
12250000
3750000
39223740
3922374
43146114
阿部八重子
母
1/2
52523740
10500000
7920000
12250000
3750000
39103740
3910374
43014114
阿部幸三
91840689
阿部ひで子
妻
1/2
45920344
10500000
1000000
12865888
13000000
3750000
27804456
2780445
30584901
公悦
子
1/4
22960172
5250000
6432944
6500000
1875000
13402228
1340222
14742450
文香
子
1/4
22960172
5250000
6432944
6500000
1875000
13402228
1340222
14742450
阿部政一
112691366
阿部光子
妻
1/2
56345683
10500000
1000000
10785445
13000000
3750000
40310238
4031023
44341261
みゆき
子
1/2
56345683
10500000
10785445
13000000
3750000
39310238
3931023
43241261
織笠善朗
102708814
織笠育子
妻
1/2
51354407
10500000
1000000
13587651
13000000
3750000
32516756
3251675
35768431
友美
子
1/6
17118135
3500000
4529217
4333333
1250000
10505585
1050558
11556143
育美
子
1/6
17118135
3500000
4529217
4333333
1250000
10505585
1050558
11556143
猛
子
1/6
17118135
3500000
4529217
4333333
1250000
10505585
1050558
11556143
(注)原告らのうち、八木稔の遺族については、③(相続額)、④(慰謝料)、⑤(葬儀費用)について、一割の過失相殺をして計算している。
保険法に規定される労働福祉事業同様、労働者及びその遺族の福祉の増進を図ることを目的とする事業であり、右特別給付金も、一家の柱を失って困窮に陥った遺族の生活を援護することを目的として、遺族年金等に上乗せして、別個に支給されたものである。したがって、このような目的で給付される特別給付金は、遺族年金等の保険給付とは異なり、損害の填補という性格を有しないから、これを損益相殺の対象とすることはできないというべきである。
(三) したがって、原告らが受領した船員保険金のうち、損益相殺の対象となる金額は、別表二記載の金額に葬祭費一遺族八八万円を加えた金額であり、原告らに対する損害賠償額を算定するについては、別表三⑥欄記載のとおり、右船員保険金を原告らが相続割合に応じて受領したものとして、各原告の損害賠償額から控除すべきである。
6 小名浜漁協からの給付金の控除について
(一) 小名浜漁協が、労働協約に基づいて原告らに支払った死亡給付金と、自己負担において支払った一時金(一遺族一〇〇万円)並びに殉職者阿部辰夫及び須藤嘉次の遺族に支払った各三五〇万円の死亡給付金の上乗せ分を、損害賠償額から控除すべきことについては、当事者間に争いがない。
(二) 被告らは、このほかに、小名浜漁協から労働協約に基づいて原告らに支払われた所持品喪失手当金、退職金、退職特別加算金、有給休暇手当金及び慰労休暇手当金、並びに、小名浜漁協が自己負担において原告らに支払った合同慰霊祭における支払金(一遺族五〇万円)及び弔意金(一遺族一三万円)も、損害賠償額から控除すべきであると主張する。
しかし、原告らは、本件事故による所持品の喪失に基づく損害賠償を請求しているのではないから、所持品喪失手当金は、これを控除すべき理由がない。
次に、退職金、有給休暇手当金及び慰労休暇手当金は、いずれも殉職者の死亡前の労働の対価として給付されるものであり、本訴においては死亡前の労働の対価を含む損害賠償を認容しないから、これらを控除するべきではない。
退職特別加算金については、船主が船員をやむを得ず解雇した場合や、殉職及び職務上の傷病により退職した場合に給付されるものであることから(<証拠>)、これを純粋な死亡前の労働の対価と見ることは妥当でないが、給付要件から判断して、船員が船主側の都合や、服務中の事故により退職を余儀なくされた場合に、公平の見地から退職金を加算する制度であって、損害の填補を目的とする給付ではないから、これを控除することは相当でない。
また、合同慰霊祭における支払金及び弔意金は、香典の性格を有するものであるから、(<証拠>)、これを控除の対象とすべきではない。
(三) したがって、原告らが小名浜漁協から受給した金員のうち、(一)記載の金員のみが原告らの損害賠償額から控除されるべきであり、右金員を各原告が相続割合に応じて受領したものとするのが相当であるから、各原告から控除されるべき金額は、別表三⑦欄記載のとおりである。
7 被告安洋水産から支払われた見舞金(一遺族七五〇万円)が、損益相殺の対象となることについては、当事者間に争いがない。
8 本件事故と相当因果関係のある弁護士費用としては、1ないし7により算定される原告らの損害額の一割に相当する金額が相当と認める。
9 以上により、被告安洋水産の支払うべき損害賠償額は、別表三⑪欄記載のとおりとなる。
四争点4(被告安洋水産の無資力)について
証拠によれば、前記二2の(一二)のとおり、本件事故直後、被告安洋水産に身売りの噂があったことが認められる。しかし、この事実は、本件事故当時、被告安洋水産の経営が苦しかったことを窺わせるものの、右の事実のみでは被告安洋水産が現在無資力であると認定することは困難であるといわざるをえない。したがって、保険金請求権を代位行使する要件は認められず、原告の被告組合に対する請求は、棄却を免れない。
(裁判長裁判官淺生重機 裁判官岩田好二 裁判官森英明)
別紙請求目録等<省略>